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2018-04-12

慶長5年12月4日 時慶記

四日 天晴、朝食ヨリ左近丞□(ヲ)初テ呼、奔走也、肩衣・袴・百疋遣、内儀ヨリ織筋紅梅・段小袖北ニ給、下人ニ帯以下物遣候、申刻ニ帰宅候、留守ニ御福来儀候、大工弥左衛門尉・同子モ来、及飽食睡、夜謡、九条殿関白御再補アリ、 叙位ノ御■習礼アリト

西洞院時慶は12月4日に関白再任の情報を掴んでいます

こちらも「武家から返される」「家康からの奏上」との認識はないようです



2018-04-12

慶長5年12月19日 義演准后日記

十九日、晴、酉剋ヨリ雨降、
九條殿関白御再任、今日御拝賀云々、仍御樽進之幷御供衆申付了、   笠取沙汰人へ催促遣之、
従徳善院、去〃年當門作事雑米斤、千石ハ太閤御所被仰置候、其外貮百卅六石入申候、是ハ自是(見せ消ち)當門可遣候欤由申来了、   内府制札錢之儀申来了、


義演は梵瞬よりも早くに情報を掴んでいます

こちらも「武家から」返した等の記載はありません

家康の奏上とも書かれていません


2018-04-11

慶長5年12月21日 舜旧記

廿一日、天晴、
 政所社参、奉納艮子百目、二位卿唐木綿、木綿端、慶鶴丸木綿五端、予二端、神官已下帯一筋、惣下給、
 次幽斎女房衆上洛、予為見舞蜜柑一折、次妙春大姉年忌、齋僧布施廿一枚、又左衛門同女房齋米、
 次女御腹之太子親王宣下、於陣座儀同堂上惣礼、北御所出、
 去廿日、関白宣下有九条殿當職云々、武家ヨリ攝家へ被返之始也、内府家康公申沙汰也、


梵瞬は関白再任を家康の沙汰と見ています

後水之尾天皇の親王宣下もあったようです



2018-03-02

「御湯殿上日記」 慶長5年12月19日

十九日 雨ふる。くわんはくせんけあり。しやうけいまてのこうち大なこん。九てうとの御さいにんにて。くわんはくはいかあり。御たいめんたいはん所なり。はし(なか脱カ)ひとへきぬにてつまとのみすまかるゝ。くわんはくより五いろ五かまいる。こよひのしそくあの。しけの井なり。



九条兼孝の関白再任の記載

御湯殿上日記には、家康からの奏上は書かれていない

武家から関白職が返されたとの記載もない




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