2022-01-28
慶長3年1月25日 秀忠書状
黒田長政宛です
蔚山における長政の戦功を讃え、小袖・羽織を贈る
蔚山における長政の戦功を讃え、小袖・羽織を贈る
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2017-08-04
おはようございます(^^)
昨日UPした「義演准后日記」に書かれてある一文
>傳聞、秀頼卿へ諸大名御礼、節分ハ小坂ニテ御沙汰云々
利家の逸話(利家夜話に書かれている)で
正月7日に家康と淀殿が秀頼の大坂移動を嫌がって利家に一喝された
を一度は聞かれた事と思います
しかし、すでに節分前に小坂=大坂へ移動は決まっている事なのでその話はなかったのです
西笑承兌という秀吉の公式文書などを作成したお坊さんも慶長3年に秀頼の大坂移動の事は書いています
↓
是斎下向候間一筆令啓候、爰元替儀無御座候、仍左馬進殿為貴殿御名代内府(家康)へ致御供、御仕合能候、内府も春ハ早々御上洛御待之由候、
一有中(有馬中書則頼)へも拙老同道、諸事弥以被頼入之由、左馬進殿如御聞候、具二令申候、先度之三ヶ条も春中書(有馬則頼)へ御出之刻令相談可申候、
一高麗衆各帰朝、天下之珍重可為御祝着候、人質□□(博多?)まて渡海候、於様躰者是斎二令申候、
一秀頼様ハ来正月節分以前大坂へ大半可為御下向候、」明春早々於御上洛者以拝顔可申承候間閣筆候、恐々ー、
(慶長3年)十二月七日 (西笑)承兌
山口玄(玄番頭宗永)
山口宗永は秀吉から付けられた秀秋の家臣です
この時期宗永は、秀秋の筑前からの転封の為に越前へ検地に行っていました
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